ノーセンスでも囲碁九段になれると確信した話 中編
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- 囲碁が打ちたい
小学4年生になっても頭の中は囲碁のことでいっぱい。
囲碁楽しい!もっと囲碁やりたい!
そんなある日、学校で体育の授業を受けているときに急に高熱を出し、保健室で看病してもらいながら寝ていました。
しかし、目が覚めると・・・
難病にかかっていました(これは後に大病院で発覚したことです)
それから1年間、外に出ることができず、大好きな囲碁すらもできませんでした。
この囲碁ができなかった1年間で囲碁熱は冷めてしまいます。
- 第2次囲碁ブーム到来
休日に家族全員でお出かけしていたときです。
(ちなみに僕はこのとき小学5年生。僕の病状は大病院の主治医の先生のおかげで少し良くなっています)
ホームセンターで買い物中に外の植木鉢コーナーを見ていたとき、
ふと上を見上げると・・・?
「囲碁」の文字があるではありませんか!!!
もちろん行きましたよ。そりゃもう、ブラックホールに吸い込まれるかのように。
その囲碁教室は車で片道1時間半かかる場所でしたが、1年ほど通わせてもらいました。
1年間のブランクを経て、僕にとっての第2次囲碁ブームが到来します。
- 運命の出会い
小学6年生になる頃、僕の棋力は5級くらい。
小学3年生から始めて3年で5級は成長が早いとは言えませんが、囲碁を楽しむことなら誰にも負けてなかったと思います。
そんなとき、母親が他の囲碁教室を探してくれていました。
すぐに見つけた囲碁教室2か所に行ってみましたが、ガチガチの雰囲気だったり、部屋が薄暗かったりで、僕には合わない教室でした。
母親もどうしようか悩んでいて、日本棋院に直接聞いてみるといって電話をかけたのですが、ここで大きく状況が動きます。
電話に出てくれたかたは日本棋院の職員さんなので、日本棋院系列の教室を紹介すると思いますよね。
が、しかし!
そのかたは関西棋院の棋士がやっている楽しい囲碁教室を知っているといいます。
(日本棋院の職員さんが関西棋院の棋士の教室を紹介するのは、かなり異例です)
この後、この囲碁教室は僕の囲碁人生に多大な影響を与えることになります。
次回:ノーセンスでも囲碁九段になれると確信した話 後編